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ブッダと仏教

 今、この日本国に普通に存在するお寺、すなわち仏教寺院。大抵、お墓が隣接して在る。人が死ぬと僧侶が来て、死者の黄泉の国への旅を先導する。浄土宗、浄土真宗、真言宗、天台宗、法華宗、臨済宗、曹洞宗などなど、宗門も多岐に渉る。ところが、斯く言う私も仏教のことをよく知らない。いつお迎えが来てもおかしくないこの歳になった所為か、はたまた頭が自然に高僧風になってしまった所為か、ちょっと、仏教のことを知っておこうと思いはじめての、にわか勉強。

 なんとなく、魅力を感じるのが空海、弘法大師。竹内信夫著「空海の思想」(ちくま新書)を読んで、今年の年賀状は空海になりました。

 次にそもそもインドで生まれた仏教とはなんぞや?が知りたくなって、山折哲雄著「仏教とは何か」(中公新書)を読む。ここでは、ブッダが死後一番の弟子アーナンダに裏切られたことを私は知った。何かというと、ブッダは死を前にして、自分の死後遺骨の供養にかかずらうようなことをしてはいけない、ということを言ってるにもかかわらず、仏舎利崇拝が生じることになった。

 そこで、今度はタイトルに魅かれて植木雅俊著「仏教、本当の教え」(中公新書)を読んだ。ここで興味深かったのは、日本の仏教が漢文で取り入れられ、そのまま今日に至っているという部分だ。本来のインド仏教が中国文化のバイアスにかかり、かなりゆがんでいるということだ。たとえば、女人禁制なんかは、ジェンダー平等だったと思われるブッダの考えと間逆になっていたりするのだ。
 植木さんの「梵漢和対照・現代語訳」の法華経や維摩経(いずれも岩波書店)などはいずれ読んでみたいもんだ。

 そして、先ほど読み了えたのが、この植木さんの師匠の中村元著「原始仏教」(ちくま学芸文庫)である。スッタニパータ、大パリニッバーナ経、ダンマパダ、ジャータカ物語(多くの有名な寓話が出て来る)、ミリンダ王の問い(ギリシャ思想との対決)などなど生のブッダのことばに近いものが感ぜられた。
そして、この本の解説、著者の弟子でもある宮元啓一の「文献をして真実を語らしめよ」で語られている大乗仏教しか存在しなかった日本の仏教学、殊に僧籍にある学者の多かった明治の仏教学研究が厳しい茨の道を歩まざるをえなかったくだりにはぼくの仏教に対する懐疑へのこたえの一端がうかがえた(大乗非仏説)。
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孫からの絵のメッセージ

今年の2月、僕の誕生日に、孫1号のsokoたんがメールでお祝いの絵を描いて贈ってくれた。あまりにいい絵だったので、今度来るとき原画を持って来て欲しいと伝えたら、3月末の春休みに来たときに持って来てくれた。

じいたん誕生日

上がその絵だが、僕と孫5人を描いた絵だ。まだ、乳児の孫5号は左隅に小さく描かれているのがみえる。

ヨメさんに、額に入れたいのでヨロシクとお願いしていたら、昨日額を買って来てくれて飾ってくれた。ヨメさんが絵を飾ろうとクリアフォルダーから絵をとりだしたら、その後ろに数枚の絵が挟んであった。sokoたんがさらさらと描いた4枚の絵だがいずれも味わい深いので、ここに掲出することにした。

じいたんフッフ1

この絵は、sokoたんたちが来るので、あのじいたんならこんなことを考えてるだろうという絵である。
僕の頭の中を想像して「sokoたちをおどろかそーっと」「フッフッフ こんどこうしてそうしてこーやって ボソッ フフフフフ・・・・ボソ」
soko「またいたずらかんがえてんのかなぁ」その他の孫たち「じいたんたのしそう」
極め付きは「※けっしてわるいことはかんがえていません。」という但し書き。

じいたん子供の頃

じーたんのこどものころはsokoたんに解説してもらわないとよくわかりません。

じいたん描き比べ

これは、あとから右隅におとうちゃんにじーたんの絵を描いてもらって描き比べ

カフェアンジェ

これは、最高に面白いです。カフェの中の様子を鳥瞰的(?)に描いた映画の様な絵。感動ものです。



それぞれの3.11

あれから4回目の3.11がやって来ました。
原発事故を伴った、地球史にも残る大災害だけに、政府も国民も
この不幸な経験を活かすしかない。そうしなければ、無念にも
この災害で犠牲になられた方々がやすらかに眠れるわけがない。

元へ戻す復興を超えて、創興の発想が必要だ。

しかし、復興への道のりすら遠いのが現状だ。

四年前のそのとき、自分はどうしていたのか?
その少し後に書き留めた私小説が記憶を甦らせてくれる。

登場人物は変えてあるが、状況は事実に沿っている。

以下は「生きる」の第四章です。

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 その次の週、恵介は健喜食品のある関西の中心都市大阪の北浜へ出かけた。大竹社長のオリエンテーションを聴く為だ。大竹の説明は恵介が思っていたこととほぼ近い内容だった。

 第二回目のミーティングが行われたのはその月の十一日の午後だった。丁度今後の段取りの見直しをしているときだった。恵介はどうも目の前が横にゆっくり揺れている様な気がした。歳のせいで目眩がしているのかと思ってしばらく黙っていた。しかしその揺れは執拗に続いている。

 そのとき、若い社員の一人が、

「どうも、地震のようですね。万一のこともありますから、念のためドアを開けたまま外へ出ましょう。」と言ったので、やはり現実に揺れていたのだと納得した。

 オフィスのあるビルの五階から階段で下まで降りた。廻りのビルから大勢の人が外へ出て来ていた。こんな長い揺れは初めての経験だった。

 携帯でネットのニュースを見ると、震源地は東北の宮城県と出ていた。東北の地震の揺れが関西で感じるなんて常識ではありえないことだった。

 これは相当大きな地震だな、と思いながらも恵介と山本は健喜食品のビルを出ると、まだ陽が明るかったが、居酒屋を探しその暖簾をくぐった。生ビールを煽りながら、そのときは未だこの地震が十六年前に起こった兵庫県南部地震を上回る未曾有の大震災とは恵介も山本も思っても見なかった。

 その夜、山本と別れ、恵介の住む最寄りの駅のロータリーまで車で迎えに来た妻の道代に聴いても、そういえば揺れた様な気がするという程度だった。

 帰宅した後、居間でテレビモニターから流れる想像を絶する悲惨な現地の光景を見て、恵介も道代も唖然としたまま一言も発することが出来なかった。報じられる前代未聞の震度とマグネチュードの数値の大きさや押し寄せる津波のむごい画像に対し、死者、行方不明者、負傷者のカウントの緩慢さは大きなギャップを感じさせた。兵庫県南部地震のときもそうだったが、諸官庁もマスコミも情報が殆ど正確に掴めないのだ。分断され孤立化した現地の情報は点でしか把握出来ず、それだけにこの被害の大きさに思い至った恵介は、

 「これは大変だ。へたすると死者・不明者は一万や二万では済まず、五万以上になるのでは・・・・・?」

という可能性すら頭によぎり、なかなかそれを吹っ切ることが出来なかった。

 そして同時に、福島の原発の事故や首都東京の帰宅難民の情報も流れた。

 恵介は東京の商社に勤める息子の伸吾に電話したが無論通じない。伸吾とその嫁の咲恵の携帯とパソコンにメールを送信しておいた。また、青森県の八戸市に住む若き知人からは何とか難を免れ無事にしていますというメールが返って来た。

  そのうち咲恵からみんな無事で元気ですが、伸吾が帰れないで今夜は会社に泊まるそうです、というメールの返信が届き恵介は道代と胸を撫で下ろした。

 恵介はその後、ネットバンキング経由で些少の震災募金をしたり、メンバーになっている異業種の集まりで、水を被災地に送る為の募金や、救助犬の団体への献金を募ったりしていたが、恵介が住む関西は震災の影響が多少はあるとはいえ、被災に苦しむ人々とは遠くかけ離れた別天地であった。

文藝春秋10月号の朝日OB三人

 文藝春秋10月号はきちっと朝日OBにも紙面を割いています。さすがぁ!

 若宮啓文氏(朝日新聞元主筆、現日本国際交流センター・シニアフェロー)、国正武重氏(朝日新聞元編集委員)、伊藤つよし氏(朝日新聞西部販売事業株式会社元社長)のお三方です。三人三様で面白かったです。

 これを読んですぐにわかったことがあります。若宮氏は朝日の典型的な出世コースを歩んできた方、上層部に多いプロトタイプです。伊藤氏は、販売部門にずーっといて、純粋に朝日の部数を増やそうと努めて来た侍です。国正氏は朝日の常識より人の常識のほうが上回った朝日大事だけでない人です。
 
 若宮氏の主張は概ね朝日トップの主張を代弁している。
論説主幹だった05年、コラム「風考計」で、日本が韓国に竹島を譲り「友情島」と呼ばれるようになると夢想する、と書いた御仁らしい。

彼らが慰安婦問題と呼ぶ中で、吉田清治証言は取り消したが大した問題ではないという方向に持って行きたいらしい。
論点のおかしな点や矛盾点に傍線を引こうと思ったら、真っ黒になったので、皆さんの目で確認して下さい。

殊にお終いの「日韓をつなぐために」の章は、正に確信犯としての矛盾に充ち満ちています。
韓国にも大いに苦言を呈しているらしいです。(笑)
「例えば慰安婦の少女像をソウルの日本大使館前に置いたり、慰安婦を世界記憶遺産に登録しようとするなど、世界に日本の"恥"を宣伝するようなことは、もうやめましょう、と。そんなことをしてイメージダウンになるのは、日本だけではないですからね。」

ええ加減にせい!ためらい傷だらけのいやらしい言い回し。結局、日本を貶めることに収斂している。


 国正氏は「過ちて改めざる、是を過ちという」という、健全な常識を朝日翼賛政治会の環境下でも、腐らせなかった。

伊藤氏は部数を増やそうと一途に努力した。読売新聞に抜かれた理由も分析して上に上奏したが、大本営に無視された。

最後に文藝春秋編集陣の公平さを担保するこの粋な計らいに敬意を表したい。

いろんな意見がある方がいい!


正論を読んで

Twitter(& Facebook)でも、正論を読むぞ〜!と宣言してしまったので、この連休に「正論10月号 初秋増大号」の「朝日新聞炎上」を読んだ。これは、今回の朝日新聞社長の慰安婦と福島原発に関する検証による、記事の誤りを取り消すという発表に関しての、18の論稿、対談などを特集したものだ。

恥ずかしながら、産経新聞社の月刊誌「正論」を読むのははじめてだ。若い頃は、ノンポリとはいえ、やはり日教組支配下の教育を受けていたし、真ん中と自分で思っていても、今から思えば左よりだった。まず、ノンポリ・ミーハー派を気取っていた自分が政治誌を読むはずがない。そんな時間が勿体無い。と、「もったいない」という言葉の使い方すら知らない阿呆だったんですよ。今でも阿呆やけど。(汗)

時代は変わる。自分自身の意識の流れをみても、ミーハーな「遊び人」気取りだった若き日の自分。この心理の裏には、敗戦までの帝国主義日本国或いは日独伊枢軸国日本への自虐的なまでの嫌悪(これは大部分の戦後日本人が持っていたと思う)、反日帝といいながら、民主的総選挙で選ばれたはずの(自分もその選挙に参加したはずなのに)時の政権(それが何であれ)への反対運動、反対キャンペーン(これは反日)へのむなしさ、いくらこんな活動をやっても何も解決しないという冷めた心があった。(こんな態度を左翼勢力は日和見主義と呼んだ。ああ言えばこう言う的だがうまい言い回しだ。)

後になって、戦争で負けたことのない国を訪れると、僕みたいな考えが普通であることが良くわかる。

当たり前のことだが、僕の友人や知人にも、様々な政治スタンスの方がおられるし、それを認め合いながら、自分の考えを主張するのが民主主義だし、素晴らしい国の証だ。

僕は、今年の正月のブログで自分の政治スタンスを表明しておいた。その根幹は、現実的に周りの人たちや大多数の国民が幸せに暮らして欲しいと願う考えである。その方法論は(お人好しではないと表明しておいたが、)優しいだけの平和主義は取らない、だから備えよ常にで、戦略的安全保障を疎かにはしない、けど普段は何処までも優しいというプラグマティズムの立場である。でも、その幸せを壊しに来たら、絶対に守る考えである。

僕には、理屈の通らない教条的というか宗教的ともいえる無責任平和主義や、急進的ナショナリズムは通じない。どこまでも、現実的に理にかなった議論を通じて考えて行きたい。少し脇道にそれちゃったようだ。

話を戻すと、この「正論」の論稿、対談は概ね朝日新聞の記事捏造とその国際的影響について正確に述べられていると思う。朝日新聞社及び朝日新聞社の記者はこの正論の記事の一行一句に対して、正確に反論又は、同意の論陣をはる義務があると考えるが如何?

韓国人による恥韓論を読んで考える

「韓国人による恥韓論」シンシアリー著 扶桑社新書 読了。

 韓国政府の最近のわが国への動向に対して自分が感じていた思いは次の通りである。対日本外交に関しては、何故あそこまでしつこく反日のスタンスを取り続けるんだろう?ずーっと中国の属国であったのに、しかも政治体制の違う一党独裁の中国なのに何故あんなに擦り寄るんだろう?法の番人であるはずの韓国の裁判所は明らかに日本の寺から盗んだ仏像なのに、すぐさま返還するよう命令しないのだろう?何故過去のことは、早くケリをつけて、未来を見て、蜜月の日韓関係(政治、経済、文化など幅広く)を構築しようとしないのだろう? ほんの数例挙げただけだが、つまり、納得しようのない疑問ばかりなのである。日本とうまく友好関係を結べば、経済上も安全保障上も両国にとってメリットしか考えられないのに、何故アホな選択を採るの???...と。

 しかしながら、この本を読んで何故なの?はなるほどに変わった。かなり納得出来たのだ。けれども、心の中はスッキリしていない。むしろ、日韓の前途に一片の希望すら持てなくなってしまったのだ。

 この本の作者シンシアリーSincereLEEは、1970年代、韓国生まれ、韓国育ちの生粋の韓国人で歯科医院をやっていると紹介されている。母から日本語を学び、日本の雑誌、書籍、アニメ、テレビ番組のビデオなどから日本の姿を知り、韓国で敵視している日本はどこにも存在しないことを知る。韓国の反日思想への皮肉を綴った「シンシアリーのブログ」http://ameblo.jp/sincerelee/は1日10万PVを超える。そして、彼の著書「韓国人による恥韓論」が扶桑社から新書版で出版された。

 著者は「反日」を「反日教」という宗教だと定義づける。だから正しいとか正しくないの次元で語れるものではないのだ。
 この説は今までの韓国政府の対応のとんちんかんさへの疑問にかなりスッキリ答えるものだった。

 しかし、考えてもみよう。この世に生まれて、必死で競争社会を生き抜いて、勝っても負けても、最後の信条が隣の国を恨み続けるだけの宗教に洗脳されてる人生なんて、哀れ以外の何ものでもない。しかも、それがどんなに特殊な一生であるかを知らずに死んで行くなんて?まるでSFの世界でしかない。
 そして、その恨まれる対象である日本国民の一員としてはたまったものではないのである。

 著者は今後も、この反日教は改善されることはなく、一層悪化するだろうと冷静にみている。

 日本人は現在の目に見えない数多くの美点を維持し、少し韓国と距離をおき、冷静に幅広い観点から、言うべきことはハッキリ言い続けるしかないのだ。

韓国人による恥韓論 (扶桑社新書)韓国人による恥韓論 (扶桑社新書)
(2014/05/01)
シンシアリー

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現実主義と理想主義

今日の「たかじんのそこまで言って委員会」(僕が贔屓にしている番組)を観ていて、自分の政治や社会に対する考え方の性向(かなり偏ってるかなと恐れをだいている)について、確信的に認識したことがある。

今日の番組のゲストは橋下大阪市長だった。いわば一党独裁で1時間半を構成した。たかじん生存中ならまだしも、ここまでやるとは、益々この番組が好きになっちゃう。よほどプロデューサーがサムライで力もあるのだろう。
パネラーに、Twitterやこの番組で橋下さんに批判的だった評論家もジャーナリストも結局グーの根も出なかった。

そこで、何故そうなるんだろうと考えた。橋下さんも僕も(同列に論じられる僕では無いけれども、この際はご容赦を)本物の現実主義者なんだというのがその結論だ。橋下さんも僕も理想が無いわけではないし、僕はむしろロマンチストだと思う。だがしっかりと、現実の政治問題や社会問題のいけない部分は誤解を受けようが嫌われようが、現実的にストレートにシンプルに解決させる方向に走ってしまうのだ。

そう考えると、石原慎太郎を尊敬しながらも分党した橋下さんの気持ちがよく理解できる。石原慎太郎は理想主義者なのだ。極右も左翼も平和主義者も理想主義者なのだ。只、そう言っているうちにこうなってしまいますよと動かざるをえないのが、現実主義者なのだ。

そして、三十歳くらいで現実にあったのだが、イベントで水槽に泳がしていた鮭が、ガードマンの不手際で飛び出し死にかけていたのを、僕が棒切れで殴って往生させた行為を、優秀だったイベントプロデューサーが可哀想だと言ったのを、僕は「優しさの暴力だ。」と思ったのだ。そのいい悪いはわからないが、それが僕の性向なのだ。

「聖地 伊勢へ」南川三治郎著読了

 「聖地伊勢へ」南川三治郎著 中日新聞社刊を読んだ(?観た)。
 これは、主にヨーロッパを中心に世界を撮りまくっている写真家の著者が、生地に在る伊勢神宮を式年遷宮を中心に八年に亘り取材した記録である。

  そして、まもなく開催される三重県総合博物館落成記念『日本の心』第六十二回式年遷宮写真展の公式本でもある。

  日本の皇祖天照大御神を祀る伊勢神宮は日本神道の頂点であり、伊勢はまさに聖地である。

 伊勢神宮を撮るのは南川三治郎を措いて他にはないと僕は思う。まさしく「天の配剤」とはこのことに違いあるまい。
 その理由は、南川は「アトリエの巨匠」たちをファインダーから見つめ、彼らが神になる瞬間を切り取ってきたし、「イコン」や「巡礼」の道を辿り「聖なるもの」の何たるかに熟知した写真家であるからだ。
 
 彼の写真の向こう側には神々が躍動している様である。

 南川の簡潔で詩性をもつ文体が、今回は古代から現在へと「時空の紀行文」としてわれわれを導いてくれる。

 僕はヨメさんと式年遷宮の前年に伊勢へのお蔭参りを果たしたが、今度はこの本を片手に行ってみたいと思っている。


聖地 伊勢へ聖地 伊勢へ
(2014/04/23)
南川三治郎

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戸田山和久著「哲学入門」を読んで

 「哲学入門」戸田山和久著、ちくま新書読了。

 この本を手にしたとき、分厚い新書だなと感じた。450頁もある。そして、序を読み始めたとき、これは面白そうと、期待に胸が震えだした。
 「ありそでなさそでうっふーん」じゃなかった、「ありそでなさそでやっぱりあるもの」つまり、意味とか、表象とか、目的とか、自由とかいった古来哲学の対象になって来た「存在もどき」たちを、唯物論的自然主義の観点からモノだけ世界観に描き込むという試みだ。漫才師の大木こだまが聞いたら「そんな奴おれへんやろ〜」とボケそうなネタだ。

 ところがである、読み終わったとき(わからんところはとばし読みだが)、知らぬ間に納得させられたようで、大詐欺師のペテンにかかったようでもあるし、まるでキツネにつままれたようでもある。「神」もなしで、「進化」してそうなるのである。「往生しまっせ〜」。

 唯物史観イコールマルクス主義の時代の人間としては、眼から鱗だし、「科学哲学」というのは「哲学」における単なるサイドではないなという認識が出来た。

 アベノミクスじゃないが、ものごとを一旦「デフレ」で考えてみて解を得て行くやり方が多出するが、これも感動ものだ。

 インパクトを受けた部分は多くあったのだが、一点だけ挙げるとすると、第7章 道徳 の395頁「意志の自由の概念がなく、したがって責任を負うとかとらせるという実践もなく、だけど市民的自由は保障されている社会はありうる。」というくだりは「自己責任論者」の自分としては熟考すべきところだ。
 
哲学入門 (ちくま新書)哲学入門 (ちくま新書)
(2014/03/05)
戸田山 和久

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説得力ある「里山資本主義」

 先日、ABCラジオの道上洋三の「おはようパーソナリティ」で出演していたゲストの話が冴えていたので、「うーむ!」と思っていたら、あの「里山資本主義」の著者だと道上さんが紹介する。「あの本買っといて!」とヨメさんにお願いして、出勤した。

 確かに、読んでみたら、面白い。僕らが爪先から頭のてっぺんまで浸かっている現行の経済生活を「マネー資本主義」と定義し、「里山資本主義」を「マネー資本主義」の生む歪みを補うサブシステムとして、且つ非常時には「マネー資本主義」に代わって表に立つバックアップシステムとして、現行のシステムの脆弱性を補完し、人類の生き残る道を示すシステムだと提言する。

 確かにケインズ以来世界を切り回し、今や人類の血肉となってしまった、現行の経済システムの行き詰まりを補完するシステムとして、「コペルニクス的転回」を示唆していると感じ入った次第である。

 未だ、読んでおられない方には一読をお勧めしたい。

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
(2013/09/25)
藻谷 浩介、NHK広島取材班 他

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新年にあたっての提言

あけましておめでとうございます。大勢の方にお世話になり、感謝感謝です。本年も宜しくお願いします。

  平成になって四半世紀が過ぎました。太平洋戦争が終わって、68年、戦後すぐに生まれた私も2月で68歳になります。

  平成25年癸巳はみなさんにとってどういう一年だったのでしょうか?私にとっては、この年は大禍なく平凡に幸せに過ごさせていただいて、感謝しかありません。

 思いつきではありますが、整理しておきたいことがあります。それは、自分にとっては珍しくも、政治のことです。この国の政治です。いや、私自身の政治に対する考え方の整理とその表明です。

 今、日本の政権は自民党安倍政権です。昨年の終盤までは民主党野田政権でした。
 われわれ日本国民の期待を担って登場した民主党政権は、悉く期待を裏切ってそれこそやることなすことに「失望」しました。その間に、未曾有の東北大震災が起こりました。そして、鳩山総理の「最低でも県外」発言、挙句の果ては「トラストミー」。未だに「尖閣は中国から盗んだ」と言い続け、中国からは熱い「お・も・て・な・し」。
 その結果、まとまりかけていた、危険度の高い普天間基地の移転を無意味に遅らせてしまい、場合によっては固定化を招きかねないところだった。そして、「尖閣諸島中国漁船衝突事件」。
 何と言っても「政治主導」の履き違えによる混乱は、小泉降板以降の福田、麻生と続く自民党政権の迷走ぶりに、勝るとも劣らない体たらくであった。

 民主党政権下で唯一、評価に値するのは野田総理の「解散」の潔さであろう。

 そして、前回の失敗を踏まえて、満を持しての安倍総理の二度目の登板。デフレ脱却を目指す「アベノミクス」、派閥に囚われない組閣の所為か、適材適所の清新で有能な大臣の登用。民主党政権末期の田中直紀防衛大臣らに感じた苛々感はない。
 つまり、何もし(出来)なかった民主党政権に比し安倍政権は、少なくとも硬直した事態を打破せんと喘いでいる。それだけでも、素晴らしいことだと私は評価します。

 そして、秘密保護法の強行採決、そして、靖国参拝で支持率を少し落とし、ここぞとばかり、教条主義的、或いは戦後日教組刷り込み的左翼評論家やマスコミが1年振りの出番だぜいっと、はりきり出しています。

 それはそれでいいんですが、そういう左翼的な方に質問ですが、あの覇権を無差別に求める某帝国共産主義国家の領土拡大に蹂躙されるままの方が「決められる」政権より好きですか???
 中国の自由のない日本省になっても、戦前の「治安維持法」になるという時代錯誤の言説を唱えている方が快感を覚えるのですか?

 私はある意味「ナショナリスト」愛国者ではある。それは、父母、妻、子、孫を愛するということと同義の意味に於いてである。しかしながら、目に見えない精神的な神とかを尊崇する「国粋主義者ではない。単に絶対的平和主義者なだけである。

 そして、非民主主義な共産党単独政権に対し、無防備であるほどお人好しではないだけである。人民を苦しめる独裁政権は断固許せない立場である。

 私の一番嫌いな性向は「やさしさの暴力」というやつだ。戦後日教組が牛耳った誤った人間教育で生んだモンスターペアレントをはじめとする、義務を果たさない権利亡者は、現代日本の恥部である。そんな社会に対する世直しが、私の現在取り組んでいる小説のテーマです。

 取り敢えず、私の政治的立ち位置を表明しまして年頭のご挨拶とさせていただきます。(名古屋にて)

結婚42周年の旅 倉敷・岡山へ

 あれは10月に入ってからのことだ。ヨメさんから「あんた、10月27日は何の日か知ってるの?」と言われて僕、「・・・・・」目は虚ろ、冷汗がツゥ〜、心臓パクパク。油断だ!昨年の成功とヨメさんの評価の高さに甘んじて今年はスッカリそのことを忘れてしまっていたのだ。追い打ちをかけるように、「黙ってようとおもてたんやけどな。」とヨメさん。実は42回目の結婚記念日やったのです。普段記念日とか、モノとかにあまりこだわらないで生きて来た僕、昨年のたまたまのヒットに酔いしれている間に、1年があっという間に過ぎていたのです。
 というわけで、10月13日の日曜日に大慌てで小旅行の計画と宿の予約。行き先は「倉敷」ということで偶然ヨメさんと意見が一致した。

 僕は大学生のときに、一度大原美術館へ「ジョルジュ・ルォー」の絵みたさ一点のために一人で訪れている。ジョルジュ・ルオーの色づかいが僕の生理的に奥深いところで共鳴するのだ。それに、岡山へはクラブの合宿で何度も来ていた。グライダー部に所属していた僕は、当時海辺にあった岡山空港(当時、現 岡南飛行場)で翔んでいた。冬になると格好の西風が安定的に吹くので、対岸2〜3km先にある金甲山(標高403.4m)の前面が斜面上昇風を産み、それに取り付いて8の字旋回を繰り返すと山の数倍(何倍までかは忘れたが)上昇出来るし、何時間でも滞空出来る。
 思い出深い岡山に否やはなかったが、問題は宿の予約だ。今から予約可で比較的よさげなところということで、ペンション「てふてふ」を選んだ。アクセスは今回は車でないので、最寄りの児島駅からタクシーになる。

 そして、あの鈍足大型台風27号フランシスコの登場となる。伊豆大島に多大な被害を及ぼし、多くの人命を奪った台風26号が去ったと思ったら、直ぐにフランシスコが誕生。でも、その時は翌週半ば火曜か水曜には通過するだろうと、軽く考えてあまり気にしていなかった。ところが時速は15kmと自転車並みで、一向に速くならない。どんどん日本列島接近予測が後ろへずれる。とうとう、土曜日当日にまでずれて来た。おまけに超大型台風28号までが参加し、藤原の効果とやらが取り沙汰される始末。晴れ男=ウォーキングてるてる坊主と自負する自分だが、22日火曜あたりには延期も考えていた。そして、水曜日の朝の時点で決行を決断した。
 その時のつぶやき(ツイッター)、
 <昨夜寝てると枕元に阿弥陀さんがきやはってささやかはったんだす。「お前何言うとーんや、歩くてるてる坊主として、恥ずかしないんか?」と、というわけで土日の記念旅行やっぱ意地でも行きます。ウォーキングてるてる坊主の名にかけても。昨年は遷宮前の伊勢やったなぁ。今年は西や。( ̄^ ̄)ゞ>
 そして、心配した藤原の効果も無く、「歩くてるてる坊主」こと、「奥田の効果」なのか?僕の予想を超えてフランシスコは加速し、足早に去って行ったのであった。

 現地で動くには車の方が当然便利には違いないのだが、岡山まではおそらく200km超えるので、よく行く名古屋までの170kmくらいが、分相応で老夫婦には限界と考えていたので新幹線を選んだ。

みずほノーズ


 10時過ぎには倉敷に着きたいなぁと調べたら、「みずほ」という格好の新幹線があり、窓口で聞いたら、九州新幹線で特徴は5人掛けが4人掛けになっているという。実際に乗ってみるとグリーン車並みのゆったりさであった。(別に鉄ちゃんやないですがね。)

みずほ内部


 倉敷に着くとリュックをロッカーに放り込んで、美観地区へまっしぐら、観光案内所で川舟の予約。13時半5人乗り。それから直ぐに今日のメインの大原美術館へ。ルオーの絵は今回は1点だけの展示であったがそれでも満足。絵も凄すぎるが、工芸館の陶器にも目眩がするほどであった。大原孫三郎が児島虎次郎の眼力を活用して良くぞこれだけのコレクションを実現させたものだと、改めて感動させられた。入場料だけで黒字化している美術館はここだけらしい。さもありなん。お昼を挟んで4つの館をを巡った。もう二人とも足はクタクタになった。

美術館


 そして川船流しへ。船頭さん(ボランティアかも?)の説明もなかなかよい。
川船


そして倉敷アイビースクエアへ。倉敷紡績創業者大原孝四郎から始まる倉紡記念館はじめ興味深い施設の数々に堪能。

スクエア


 足クタクタで児島へ向かう。泊まりはペンションてふてふ。創業25年になるという、夫婦で経営されている素敵なペンションでした。このご夫婦のお人柄に加え、お風呂のハーブに癒され、疲れも吹っ飛びました。

ペンション全景


 そして、翌朝、ペンションの周辺を散策。これがなんと、瀬戸内海国立公園を見下ろすベストポジション「通仙園園地」でした。素敵な眺望を満喫しました。

多島風景


島


児島駅までタクシーで行くつもりが、ペンションのご主人に車で送って頂きました感謝感謝。

 期待して最初に行ったのが、ジーンズストリート。ジーンズ発祥の地と云うふれこみ。これほど大きく裏切られたのも珍しかったです。当事者達はお気付きになられていないかも知れませんが、申し訳ないですが、自己満足ストリートでした。店は殆ど一見さんお断り風。観光客ゼロに近い。集客の努力の跡が微塵も見られなかったのは残念でした。

ジーンズst


 捨てる神あれば拾う神有り。世の中はバランスがとれてます。失望しながら、重要文化財「旧野﨑家住宅」というのがあったので、入ってみたらこれは何と凄過ぎました。
野崎邸長屋門


塩田王野﨑武左衛門の創った邸宅。 長さ42mに及ぶ中座敷、庭園の凄さ、水琴窟などなど、開いた口が塞がらなかったです。そして、それが今のナイカイ塩業株式会社であり、味の素のアジシオなどに原料を供給している会社だとか。

野崎邸中座敷


 児島駅までの途中に旧下津井電鉄の旧児島駅があった。軌道敷跡地を、歩行者と自転車専用道として市が整備して、「風の道」と呼んでいる。

旧児島駅


 満足感を抱いて午後2時過ぎに岡山へ。一目散に岡山後楽園へ。これも、見応え充分でした。

後楽園


足に豆をつくっても、ヨメさんは岡山城を観たいらしいので行ったが、安普請で失望。感動と失望の連続の旅でした。



 と云う訳で、今回もピンチをチャンスにした自分にご褒美というところで、一件落着!!!(笑)

がんばれ長谷川豊(元フジテレビ アナ)

 「いつも一言多いあのアナウンサーのちょっとめったに聞けない話」長谷川豊著、小学館、を読んだ。いつもはこの手の本はあまり読まない主義なんだが、長谷川くん(以下くんづけで呼ばしてもらう)の通っていた小学校に、うちの娘が同級で5年間在籍していたからである。縁と云えば縁だが、「それだけ?」と云えばそれだけのことである。ただ、僕のミーハー度がかなり高いだけの話である。

 武豊ファンのヨメさんが、よく競馬の実況を珍しく一銭も賭けないで楽しんでいるので、午後3時からのフジテレビは観戦することも多かった。馬券を殆ど外していた杉本清さんが中心だった頃、「あっ、あれ長谷川くんちがうか?」とヨメさんが云っていたので、僕も注目することになった。そのうち朝のニュース番組でも、小倉キャスターの番組で、コーナーを持つようになるし、「コネもないはずやのに、すごいな!」というのが、僕の感想だった。陰ながら将来も楽しみにしていた。ニューヨークへ行ってることも「出世街道に乗ってるぜ」くらいに思っていた。

 それが、ヤフーニュースで「長谷川アナが使い込みをやった!」という記事を読んだとき。「えらいこっちゃ、多分、脚光を浴びてる長谷川くんが妬みで引っ掛けられたんやで!?」と多少身贔屓もあって、最初に発した感想がそれだった。そして、やはりその予想があたっていたのだ。

 そして、これもディジタルのニュースで本を出したのを知ったので、アマゾンで購入して読んだと云う訳である。

 まっ、率直に感想を云うと、「こんなもんやね、組織と云うものは。フジテレビの経営陣ボケばっかやね。球体くんはどこにでもいるが、哀れなやっちゃね。」くらいか。

 長谷川くんは、これを契機に日本一のジャーナリストをめざしてほしい。がんばれ!

 低迷するフジテレビの上層部でフリーになった長谷川くんを他局に先駆けて使ってみせる骨のあるヤツはいねぇのか!?「これならホリエモンにやらせたほうがよっぽどよかったんでは?」と云われんぞ!

いつも一言多いあのアナウンサーのちょっとめったに聞けない話いつも一言多いあのアナウンサーのちょっとめったに聞けない話
(2013/08/30)
長谷川 豊

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最近の読書状況

 読書ノオトをさぼっていたら、何を読んでいたのかが、順を追っては思い出せない。思いつくままに記してみよう。

 日本の古典では「古今和歌集」(読書ノオトに掲載)の後、「萬葉集」新潮日本古典集成 所収の柿本人麻呂を中心に総覧した。その後、「芭蕉句集」新潮日本古典集成を読了、そして「徒然草」木藤才蔵校注 新潮日本古典集成 を通勤電車で読んだ。最近その解説も読み終えた。
これらの古典シリーズは共感したときや、興味を惹かれたときなどにTwitterで時々つぶやかせてもらった。

 Twitterでつぶやいたことが即時検索出来るよう、#○○とか付けておかないと、後々全つぶやきをスクロールしないと読み返せないことに今頃気づいた。
 次に、新潮日本古典集成ではいよいよ「新古今和歌集」上下巻を今朝から読み出した。

 「昭和文学全集12」小学館 所収の「坂口安吾」を読んだ。そのうち「ふるさとに寄する讃歌」「風博士」「黒谷村」「逃げたい心」「真珠」「二流の人」「白痴」を読んだ。すごく面白かったが、残りはまたの機会に。

それから、百田尚樹著「海賊とよばれた男 上下巻」講談社を楽しんだ。

海賊とよばれた男 上海賊とよばれた男 上
(2012/07/12)
百田 尚樹

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海賊とよばれた男 下海賊とよばれた男 下
(2012/07/12)
百田 尚樹

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娘に誕生祝いに貰った図書カードが残ってたので、以下の本を買って読んだ。

久々に宮城谷昌光の近著「湖底の城」一、二巻を読んだ。

呉越春秋 湖底の城 一 (講談社文庫)呉越春秋 湖底の城 一 (講談社文庫)
(2013/07/12)
宮城谷 昌光

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呉越春秋 湖底の城 二 (講談社文庫)呉越春秋 湖底の城 二 (講談社文庫)
(2013/07/12)
宮城谷 昌光

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村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」文藝春秋 も読んだ。 村上春樹のものは初めてである。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
(2013/04/12)
村上 春樹

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いとうせいこう著「想像ラジオ」河出書房新社 これはなかなか意欲的な作品である。

想像ラジオ想像ラジオ
(2013/03/02)
いとう せいこう

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「現代ウィンカー(方向指示器)考」

 私は自動二輪の免許を取得したのが16歳のとき(1962年)で四輪が20歳のとき(1966年)なので半世紀にわたる運転歴だ。但しその間、八尾西武の開店設立準備委員で忙しくて書き換えが間に合わず、一度免許が取消になって現在の私の免許証は昭和55年(1980年)の取得になっている。

 いつのころからか記憶にないが、近年、車を運転していて、気になって仕方がない事柄があり、一度整理しておかなければいけないと思っていた。それは、自動車のウィンカー(方向指示器)を出すタイミングのことである。
 非常に奇異に感じ、危険に感じていることがある。それが、運転中の右左折前のウィンカー(方向指示器)を出すタイミングである。一番多いのが、曲がり始める直前に出す車である。曲がり始めるのと同時に出す車も可成りの割合だ。ときどきは全然出さないで右左折している車も見かける。プロのタクシードライバーまでもやっているのを何度か目撃している。
 これでは、追突事故や横断歩道での事故が起こる確率が高まるのではないのか? 道路交通法もよく改正されるので、変えられたのか? でも事故の確率が高まる方向に改悪されることはないはずだしな? それとも、自動車教習所でウィンカー軽視の指導が行われているのか? シートベルトとか運転中の携帯電話に警察の取り締まりの関心が移ってウィンカーはあまり取り締まりの対象になっていないのか?などなど、この年寄りの頭の中が混乱して、一度整理してみなくてはと、思いつつ、やはりボケもあって、車から降りるとスッポリ忘れてしまうというパターンの繰り返しであった。そして、今に至った次第であります。

 私の様な歳になると、よく世間(法律も含めて)が変化しているのに、それに気づかず、こうだああだと、経験だけに基づいた意見を頑固に主張し、誤っている場合がよくあるのです。そして最悪なときには、聞く耳も聞こえなくなっているので、それに気づかず済ませてしまうのです。

 調べてみると、まずウィンカー(方向指示器)に関する法律ですが、結論から言うと「変わっていない」のです。
 道路交通法では第五十三条で車両の運転者は、左折し、右折し、転回し、徐行し、停止し、後退し、又は同一方向に進行しながら進路を変えるときは、手、方向指示器又は灯火により合図をし、かつ、これらの行為が終わるまで当該合図を継続しなければならないとし、合図を行なう時期及び合図の方法について必要な事項は、政令で定めるとしています。罰則は第百二十条で五万円以下の罰金としています。
 そして、具体的には、道路交通法施行令の第二十一条で「その行為をしようとする地点(交差点においてその行為をする場合にあつては、当該交差点の手前の側端)から三十メートル手前の地点に達したときに、あるいは同一方向に進行しながら進路を変えるときには、その行為をしようとする時の三秒前のときに、腕を出して合図をするか方向指示器を操作すること」とはっきり明示されています。

 「三十メートル手前」と「三秒前」がキーワードです。

 法律が変わっていない以上、教習所も取り締まりも昔と変わっていないと信じておこう。ただ、40歳の会社の同僚が、教習所で昔はうるさく言われた「送りハンドル」の仕方がやや横着でも許されており、そのついでにウィンカー操作を片手でやっている輩も要るのではという貴重な情報を教えてくれた。

 ここからは私の仮説に過ぎないが、思うに、まず、何の為にこれから右折しますよ、左折しますよという「合図」を送らなければならないのかを理解していないドライバーが多いのではということである。
 まず、後ろを走っている車に予告の合図を送って、スムーズで安全な判断をしてもらう必要性である。次に、右折の場合は前方から直進してくる車への合図である。そして、曲がった先の横断歩道を渉っている歩行者への合図などなど、自分以外の交差する道路に関わるあらゆる人に自分の近未来の行動の予測を一目で理解してもらうサインなのである。この基本原理を理解しておれば、三十メートルが何メートルになっても、三秒前が何秒前になってもいいのである。

 ところが、冒頭で述べたように、何故私が奇異に感じるほど、ウィンカーマナーの欠落が多く見られるのか、が問題なのである。
 今、「欠落」という言葉を使ったが、今の日本に共通しているある心情の「欠落」に起因しているのではと思わざるをえないのである。一番大きな欠落は、「他人を思いやる心の欠落」である。前後を走る車を運転する人への配慮、横断歩道を渉る人への配慮である。そして、残念なことに欠落部分は「悪気なく」やってしまってる訳だから、理解できない意識なのである。
 権利ばかり主張し、自分のことしか考えない国民を排出してしまった戦後日本の家庭教育を中心にした「教育」の脆弱さがもたらした結果が「ウィンカー」の出し方に私が驚愕せざるをえない一因になっているのではないか。
 つまり、「いじめ」「モンスターペアレンツ」「統一球」「親殺し、子殺し」問題等等、日本の抱える闇の部分に共通にいえる課題ではある。

 しかしながら、今の与党がやろうとしている法律で国民の権利と義務の比率を変えようとしているやり方では解決しないし、悪化すら懸念される。これは日常の「気は優しくて力持ち」な「こころ」の培養の問題なのである。

 「眼を覚ませ日本人!」
プロフィール

奥田 白鷺 Hakuro Okuda

Author:奥田 白鷺 Hakuro Okuda
あまり肩肘張らず、物事にこだわらず、来る者は拒まず、去る者は追わず、知りたいことを知り、言いたいことを言い、キッチュな構えで、森羅万象、自然の流れに身を委ねながら天命を待つ、大宇宙の塵のような「星のおじいさま」です。

1946年京都市生まれ。

※白鷺は塵土の穢れを禁ぜず

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